「あたりまえ」を見直そう
職場の状況、どうなっていますか?
学校を卒業して就職した人。今までの職場から転職した人。きっかけは様々ですが、新しい一歩を踏み出して就職する時、大きな期待と少しの緊張のなか、働き始めたことと思います。
子どもたちの笑顔にあふれ、ゆっくりと向き合える保育園
一人ひとりに寄り添い、しっかりとケアまで行える医療・介護職場
市民からの様々な声にきめ細かく対応でき、必要とされ感謝される公務職場
住民の移動を保障し、安全運行で公共交通を守るJR職場
期待されるのは、こうした役割です。やりがいを感じられ、そのやりがいに見合う賃金・労働条件は、どんな職種・職場であっても保障されるべきです。
しかし、いま多くの職場では「人手不足」が深刻化しており、長時間勤務や持ち帰り残業、休日返上など「帰れない」「休めない」などの働き方に加えて、周囲からの度を超えたクレームやハラスメントが日常的に起きています。本来は「おかしい」はずのことが、まるで「あたりまえ」のようになっています。
本当は、どんな働き方(仕事内容・賃金・労働条件など)をしたいのか?したかったのか?一度、いまの「あたりまえ」を見直すことから始めましょう。
なぜメーデーが大切なのか?
1日8時間・週40時間。労働基準法で定められている所定内労働時間は、昔からそうなっていたのでもなく、自然に決まったわけではありません。
1886年(明治19年)5月1日、アメリカの労働者が8時間労働を要求。「8時間は労働に。8時間は睡眠に。8時間は自由な時間に。」のスローガンを掲げ、ストライキで立ち上がりました。これがメーデーの起源です。この4日後、労働者の集会に「爆弾」が投げ込まれる事件が発生し、労働組合の指導者が犯人に仕立て上げられ、処刑されてしまいました。
アメリカの労働者は、再びゼネスト(全国的規模で行われるゼネラル・ストライキ)を計画し、ヨーロッパの労働者も共に行動することを決め、5月1日が国際統一行動としてスタート(1890年)しました。
1920年(大正9年)には、日本でも第1回目のメーデーが上野公園で行われました。その後、日本では「軍国主義」が強まる中、メーデーを行うことが禁止されました。1945年の敗戦とともに労働者の団結が大きくなり、メーデーが復活(1946年)。
今年は第95回。メーデーはその時々の労働者の要求を反映させながら、働く人たちの団結と行動の日として今日にいたっています。メーデーの歴史は、労働者の歴史です。労働者の権利をアピールし、労働者が団結で自らの力を実感し、世界の労働者と団結を広げる日です。
「おかしい」を変えるのは一人ひとりの声
いつも疲れている..イライラしている..ミスしてしまう..。それはすべて「自分の責任」だと思い込まされていませんか?
労働時間は、私たちが人間らしく生きていく上で最も重要な課題のひとつであり、賃金の土台ともなるものです。本来なら、1日8時間・周40時間労働で仕事がきちんと終わるよう、そのために十分な人員を配置させることが必要です。
少なすぎる人員で働くことが「あたりまえ」になってしまうと、「変わらない」「変えられない」とのあきらめにつながってしまい、「自分がダメなんだ」「自分には能力がないんだ」と自己責任を増幅していくことになりかねません。
「おかしい」働き方が蔓延している今だからこそ、人間らしい働き方と労働時間規制の原点である「メーデー」を契機に、職場を改善していくためひとり一人の思いを要求として束ねていくことが大切です。
仕事の都合等で、どうしてもメーデー集会に参加することができなくても、いまの働き方をあらためて見つめ直すこと、自分たちが目指したい職場・働き方をみんなで話し合うこと、その思いを要求=「ハート型のカード」に書き込んで集会に参加する仲間たちに託しましょう。
※25分~38分までの約13分ほど、「メーデーの歴史」についての解説があります。
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