年々減少する労働組合の組織率。物価上昇に到底追いつかない賃金実態、非正規雇用の増大による低賃金化や労働者の使い捨て、労働者を取り巻く状況をますます厳しさを増している中で、むしろ労働組合の客観的な必要性は高まっているのに、なぜ労働組合は広がらないのでしょうか。
その原因の一つが「現場の声」です。問題が起きた時、「労働組合をつくろう!」「労働組合に入ろう!」と思いつく人はほとんどいません。労働相談の窓口にたどり着いても、加入・結成に至るケースは稀です。
なにか問題が起きた時、「おかしいな」と感じた時、「もっとこうすればよくなるのに」と思う時、「声をあげる」ことができる職場環境をつくることが大切です。声の上げ方を知らない人。声をあげることをためらっている人。声をあげることをあきらめてしまった人。一歩踏み出せるようにするためには、やっぱり労働組合が必要です。
今回取材した北海道私教連・旭川明成教職員組合は、労働組合との出会いから結成、成果に至るまで「現場の声からはじめる」大切さを体現しています。当該労組から執行委員長・久原克さん、準備段階からサポートしてきた北海道私教連の執行委員長・青山亮介さんにお話を聞きました。
一番大切なのは身近でつながれること
恩師からの言葉で教員への道を決意
「旭川をこよなく愛している」と語る久原克さんは、小学校から大学まで旭川市内で進学。大学卒業後、旭川明成高校の前身である旭川女子商業の教員となりました。
旭川明成高校の特徴の一つとして、総合学科による幅広いジャンルの勉強ができるため、色々な目標や進路を考えている生徒が入学してくるそうで、「素直で明るく、感情や感受性が豊かな子どもたちが多いんですよ」と、嬉しそうに生徒たちのことを話す久原さん。
教員だったお父さんの背中を見て育った久原さんが、より具体的に自らも教員をめざそう!と思ったきっかけは高校の恩師である増田先生からの電話でした。「春休み中、自宅に電話がかかってきたんですよ。『久原、俺と一緒に教員やろうぜ』と教員への道を勧めてくれました。すごくうれしかったですね」と振り返ります。
当時は1学年10クラスあり、400人を超える生徒の中から自分に直接声をかけてくれたことに驚いたそうです。「熱血で愛のある厳しさを持っている先生でした。なかには煙たがったり、少し距離を置いている生徒もいましたが、私はわりと好きでした」
「先生の授業、いまも覚えてる。楽しかった!」
久原さんが教員になって「嬉しい」と感じるのは、卒業後に生徒たちが授業内容を覚えていたり、「面白かった!」と言ってもらえることです。
「卒業した生徒たちが飲み会に誘ってくれて、いろんな話をします。悩み相談や進路指導のことでお礼を言ってくれる生徒もいますが、私は社会科・地理を教えているので、『久原先生の国旗の授業、楽しかったし今でも覚えてますよ!』とか授業内容を褒めてもらえた時はとっても嬉しいですね」と笑顔で語ります。
青山さんも「卒業生が出会えて良かったって、先生に会えたから今があるんですっていうふうに言われた時は本当に嬉しいですね」と、おおいに共感。生徒たちのことを話す時、自然と笑顔になっているお二人の表情が印象的でした。
家が一軒立つレベルの賃下げ、賞与は1人を除いて全員減額
私学を取り巻く状況は?
旭川市内には5つの私学があります。少子化による生徒数全体の減少は、旭川でも影響を受けています。
久原さんは「昔は、私立は公立の受け皿のようなイメージがあったと思いますが、いまはそれぞれの学校に特色があります。多様性の中で自分が学びたいことや、進みたい道にあわせて選ぶ時代です」と語ります。
青山さんは、「授業料が助成されるようになったことは大事な一歩です。様々な家庭環境においても、学びたい場所で、学びたいことが、誰でも学べるようにしたいですね」と学びの保障を強調します。
また、公立・私立ともに地方の学校がどんどん統廃合されていく現状に、「『もっと生徒を集めなきゃ』という思いがどうしても強くなりがちですよね。でも、それを突き詰めてしまうと、集められない小さな学校はなくなっても仕方ないというバイアスを強くしているように思います。道民全体でこの問題にフォーカスしていきたいですね」と問題提起します。
賞与に教員評価を導入、決定事項として報告
旭川明成高校は、賞与の支給率が就業規則に明記されています。「私学の中では珍しい方」らしく、開校以来しっかりとその記述どおりに順守されてきました。ところが、2021年に突如人件費削減のための不利益変更が強行されました。
教員評価をAからEまでの5段階に区分し、評価に応じて賞与支給率に格差を設ける内容(※下表参照)でした。ほとんどの教員が今までよりも減額になります。「後から団交してわかったことですが、A評価は1人だけで、あとは全員マイナス支給になってたんですよ。ありえないですよね」と憤ります。
しかも、その説明は職員会議の場で教頭からスライドで「こうなります」と理事会の決定事項として淡々と説明をされました。久原さんたち教員から「私たちの合意や、同意は必要ではないのか?」との疑問に対し、学校側は「就業規則の中に『任命権者が変更できる(19年に就業規則の記載を勝手に追記・変更していた)』と書いてあるので問題ない」と一蹴しました。
生涯年収1500万減、あきらめムード漂う
21年に続き、22年の賞与も不利益変更された状態で支給されました。さらに同年8月には、賃金の大幅な減額をともなう給与体系の見直しが提示されました。基本給など号俸表を抜本的に作り変える内容です。
「20代、30代の教員は定年まで勤めた場合に生涯年収で1500万円くらい下がってしまう。私は50歳を過ぎてるので、そこまでの影響はないかもしれませんけど、若手・中堅の先生方の『失望感』は、とてつもなく大きかったと思います」と合理化案を提示された時の状況を振り返ります。
学校側からは事務局が窓口となって三回ほど説明会のようなものが行われました。しかし、なぜこれほどまでに大幅な賃金の減額をしなければならないのか、「経営が苦しい」とざっくりとした話を繰り返すだけで到底納得できるような説明はありませんでした。
「もう、給料は下がらざるを得ないのかな・・避けられないのかな・・と、私たちにあきらめさせようとしていたのかもしれませんね」と、職員室にはあきらめムードが漂い始めていたそうです。
経営失敗のツケ、押し付け許せない
賞与の評価制度、賃金の大幅減額、こうした一連の不利益変更が提示された背景には、理事会の体制が新しくなったことが影響しているのではないかと推察します。
当時は、「資金の使途など、職員から見ても『あれ?大丈夫なのかな?』と疑問に感じることも少なくありませんでしたが、自分たちに何か影響があったわけではないので遠くから見ていた」というような状況でした。
それが突如、不利益変更が連続し、経営が厳しいと言われても、「それは明らかに経営の失敗であって、なんでその責任をあなたたちが取らないで、私たちにツケを押し付けるのか」と怒りが沸き上がってきます。
当時、女子柔道部の顧問だった久原さんは、試合や稽古を通じてつながりをもった旭川龍谷高校柔道部で部長や監督をされている先生に、出稽古で会った時に相談します。
「旭川龍谷高校に労働組合があることは聞いていましたので、何か解決の方法はないものか教えてもらいたいと思い相談したところ、『それは、労働組合つくる以外に解決方法はない』と背中を押してもらいました」~そこから、労働組合結成に向けた準備がスタートします。
「身近に仲間がいる」~背中押してくれた
旭川明成高校には、以前、青山さんと同じ高校で勤務していた先生がいます。その先生からも、青山先生に相談が寄せられていました。
「相談が来た時、嬉しかったですね。労働組合の大切さが伝わっていたんだなぁと。こんな提案をしてくる理事会ですから、労組がないとさらに合理化をすすめてくるだろうと思いました」との読みから、さっそく裏付けをとるための学習会を行うなど、準備をすすめました。
「青山さんや、旭川龍谷の先生など、知識も経験も豊富な先生が『すぐ近くにいた』ことが、私にとってはすごくラッキーでした。もし、何かしようと思っても離れていると、労組結成にはつながらなかったかもしれません。青山さんに連絡すると『いいよ』といつも笑顔ですぐに来てくれました。同じ教員で、同じ旭川で、労働組合をがんばっている先生たちがこんなにもすぐ身近にいるというのは、とても大きかったですね」と、久原さん自身が背中を押してもらった実感として、身近なところに労組の仲間がいることの大切さを強調します。
「撤回はしない」~24名で労組結成へ
8月に給与改定案が提示された後、9月には職場代表の先生が「みなさんから意見を聞きたい」と声をかけます。みんなが集まった場でも、なかなか意見が出しにくい状態もあったので、アンケートをとるので思っていることを率直に書いてもらうことにします。その意見を取りまとめて、再度、教員にあつまってもらい意見書という形にして理事会に提出しました。
質問等に対して、回答する説明会は開かれたのですが、その場でも理事長や副理事長は出席せず、事務局長が文書を淡々と読み上げるだけの不誠実な対応が続きました。「組合をつくる以外にない」との思いが固まります。
年が明けた23年1月16日、「最後通告」という形で賃金不利益変更の撤回を求める意見書を提出。「これが受け入れられなければ、組合を結成して団体交渉による労使協議を求めます」との内容でしたが、理事会は「撤回はしない」と、教員の声を一蹴します。
この回答を受けて、ついに24名で労働組合を結成します。「実は、この段階でもまだ何とかして組合以外の手段で解決できないのだろうかという声がありました。私自身も初めての事ですし、不安に思う気持ちも当然ですよね。結成通告を渡しに行くときは緊張しましたね」と振り返ります。
「言ってもいいんだ!」~労組のパワーに感動
久原さんたちは、なんと1回目の団体交渉で、次年度から大幅な賃下げとなる給与体系の変更を撤回させました。「勝ち取った成果は、もちろん嬉しかったのですが、それ以上に『思っていることを、こんなに言ってもいいんだ!』という労働組合のパワーに感動しました」とわくわくした様子で語ります。
2回目の団体交渉では、賞与の不利益変更を撤回させ、さらに減額した分を遡って支払わせることを合意。前回よりさらに参加者も増え、それぞれの思いを理事会にぶつけました。
青山さんは「2回目の団交は、安定感がありとても楽でした。明成の先生たちが現場の実態や思いをたくさんぶつけていました。聞いていて共感することばかりでしたし、理事会からするとぐうの音も出なかったんじゃないでしょうか」と、交渉の知識や経験以上に「現場の声」が大切であると強調します。
久原さんは初めての団交で、「弁護士を相手に引けを取らないどころか、相手よりも論理的で、ひとつずつ確認し、包囲していく青山さんや私教連の役員のみなさんが、とても頼もしくて心強かったです」と北海道私教連に加盟する必要性を実感したそうです。
新賃金体系がスタートする4月1日が迫る中、3月23日の職員会議の場で「4月からの給与改定は延期します」と報告された時、職員室の中に静かな沸点が生まれます。
「団交では撤回すると言ってましたが、1週間前の段階ではまだ未確定の状態だったので『本当に大丈夫かな?』という不安な気持ちもありました。歓声があがる感じではなかったですけど、お互いに顔を見合わせて『よし!』というザワツキはありましたね」~労働組合の意義と力を確信した瞬間です。
自分の経験活かし、他の学校や先生の力に
青山さんは、「20年以上、組合活動をしていますが、これだけドラスティックに進んだケースはありません。明成の先生たちが文字通り『教科書どおり』に進めてくれました。実は簡単なようで難しいことなんです。何より、生徒や学校を想う誠実な気持ちがあふれていた」ことが、今回の成果につながったと評価しています。
少子化や地方の産業・経済が疲弊するなか、久原さんたちと同じように悩み、困難を抱えている教員は少なくありません。そうした現状について、久原さんは「私たちの場合は、青山先生であったり、龍谷の先生方がいたり、身近なところにつながりがあったことは、本当にラッキーでした。
もしも、距離的なことも含めて身近なところでつながりがなければ、多分、労組もつくっていなかったし、撤回させることもできなかったんじゃないかと思いますね」と、日常的なつながりや、身近なところで話せる、相談できるつながりの大切さを噛みしめています。
「青山さんや私教連のみなさんにしてもらったように、もし必要とされれば、今度は自分がほかの学校や先生にお会いして伝えて、自分たちの経験が何かの役に立ったり、力になれればと思っています」と語る久原さんの眼差しは力強く輝いていました。
私学を取り巻く状況を鑑みると、北海道私教連への期待はますます高まっています。「現場の声から始める組合活動」の大切さが示された好事例を紹介しました。
久原 克(ひさはら かつ)さん
旭川明成高校教職員組合執行委員長。社会科(地理)、第一年次部長。趣味は旅行とラーメン食べ歩き。市内のラーメン店はだいたい訪れている。
青山 亮介(あおやま りょうすけ)さん
北海道私立学校教職員組合連合会執行委員長。旭川実業高校の教員。寒い季節には、モツ鍋やラーメンなど「あったまる」ものが好き。(※オンラインで取材参加)
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